臨床研修医

〇 どのようなお子さんでしたか?どのような家庭に育ちましたか?

子どもの頃はもの静かな子だったと親に言われます。幼い頃は早生まれだったため例えば靴の紐がなかなか結べないとか人と同じ行動をするにも時間がかかっていたようで、また病気がちでよく風邪をひき公園に行くよりも小児科に行くことが多く、手のかかる子どもだったようです。
父は下北沢の商店街の文房具屋さんを経営し母は専業主婦で家族や親戚には医療関係者はいませんでした。両親は基本的に優しかったと思いますが片づけをしなかったりすると時には怒られました。

〇学校の成績はいかがでしたか?部活動は?

小学校卒業する頃まではゲームをよくしていましたし成績は全然良くなく、親も早生まれなので身の回りのことさえしてくれれば良い、というような教育で勉強のことは何も言われませんでした。周りの子たちは結構習いごとをしていたのですが、英会話教室に週1回、幼い頃から小学校卒業まで通うだけでした。小学校は公立なのですが30人中20人位が中学受験するような学校で、4~6年生になると皆は塾通いをしていて遊べませんでした。中学校は地元の公立に進みました。成績は平均位で親は特に勉強については何も言いませんでしたが、中学3年になってさすがに受験がありましたので塾に通いたいと思いはじめました。塾に通い出すと真面目に勉強するようになって勉強が面白くなり、特に英語や社会が好きで勉強して、中学生最後の頃には学年トップになりました。

高校は都立高校に進み、毎日満員電車に揺られ辛い日々を送っていました。高校では東大を目指す人が多かったのですが、将来の職業について考えると大学に入り何をやるか考え直すのが嫌でした。その時も昔からお世話になっていた小児科に予防接種などで時々顔を出していたのですが、とても楽しそうにやりがいを持って働いていて医者になろうと決めました。高校の授業では運動や音楽、美術などは苦手で、今でも運動は自分ができないので観るばかりです。今、呼吸器科で研修を受けているのですが、指導医の山岸先生から肺などの解剖学的な構造を理解するために絵を描くよう言われて描いているのですが、なかなか上達せず絵が上手ければと思います。
大学へは東京から山形に一浪して行き、入学の年が2011年で東日本大震災が3月11日にあり、4月の入学式が遅れるなどとても不安でした。でも、まさか一人暮らしをすることになるとは思いませんでしたから、初めての一人暮らしは楽しく、初めは頑張っていたのですが案の定、次第に何もしなくなりました。

当時は東京の大学のように周りの大学の女子と合コンしたりといったキャンパスライフを思い描いていたのですが辺りには大学もあまりないですし、また医学部に行くとモテると思っていましたがそうでもないことが衝撃で、他にも山形では近くのイオンモールに行くことが一大イベントとなっていたりすることなど、驚きました。
サークルは、新しいことをはじめたくて祖父がゴルフクラブを持っていて使用せず余っていたので初期投資ゼロで始められるゴルフ部に入部しました。夏に練習し、あまり習い事は続くことがなかったので6年間は頑張ろうと思いました。東医体の団体戦に出場したことはありますが特に賞を戴いたことはありません。今は全くやれていないのですがやっぱり運動は苦手だなと思います。

〇 医師を目指されたきっかけは?

高校1年生位の時に将来何の仕事に就こうかなって考えた時に、ただ大学に行くより資格の取れる何か目的意識を持って大学に行こうと思い、色々と職業を考えたのですが、昔よく病気にかかりましたし通っていた小児科の先生がとても楽しそうに仕事をされていましたので医師になろうと思いました。

〇 会津中央病院を研修先に選ばれた理由は?

見学に来た時に脳外科に後藤晴雄先生がいらして、非常にアクティブで知識も深く、手技的なものも上手く色々とご指導を頂いて、そんなふうな先生になりたいと思いこちらに決めました。私と入れ替わりになってしまわれたのですが、何回かお会いして、後藤先生は一つひとつ一生懸命にやられていて、一緒に手術をみている時でも自分だったらどうするかを常に考えてやられていて、ただ見ているだけではなく色々と頭を使ってやられていることがわかり大変参考になりました。また、後藤晴雄先生も当時会津中央病院で初期研修をされていた後藤芳明先生に憧れて来たとも話されていていいなと思いました。

〇 好きな食べものは?

山形にいたのですが魚を食べる機会が多くてお刺身が美味しく、お寿司が一番好きです。気仙沼出身の友人の実家にお呼ばれして食べたお刺身やお寿司が美味しかったですね。

〇 オフの日は何をして過ごしていますか?趣味など?

オフの日はスーパー銭湯や大江戸温泉などに行き疲れを癒しています。旅行は去年シアトルにアメフトを観戦しに4才下の弟と共に行きました。社会人になると時間が取れませんので大学時代に行っておいて良かったです。父と弟がアメフトをやっていて体はガッチリしていて見ていて楽しいです。7才下にも妹がいるのですが、弟とはよく喧嘩をしていました。当時兄という自覚は無く、7年前に大学のため山形に行き離れて暮らすようになってから弟とは特に仲良くなりました。アメフトのチームではシアトルシーフォークスが好きで、山岸先生もアメフト好きでワシントンレッドスキンズのチームT シャツやグッズを持っていらしてうらやましいです。もし対戦することがあったら山岸先生には申し訳ないのですがシアトルを応援させて頂きます。学生時代には夜中もテレビで観ていたのですが今はあまり観れていません。
もう一つの趣味のドライブですが、山形は車社会でしたので初めは友人の車に乗せてもらって仙台などへ話しながら走るだけでも楽しく、早めに免許を取って山形から東京にも車で帰っていました。

〇 会津はどうですか?(方言など)

会津の生活は、山形でも夏暑く冬寒いので東北の生活には慣れていて大丈夫だと思いますが、こちらに来てからあまり観光に行けてなく何とか時間を作って鶴ヶ城などに行ってみたいと思います。食べ物ではソースかつ丼や馬刺しが出てくる機会が多いですね。
方言は山形にもあるのですが、会津の方が少し訛りがきついと感じました。話していることがわからないこともありますし、逆に東京に戻ったときに友達にイントネーションがおかしいと言われることもあります。

〇 会津中央病院での環境は?

周りの看護師さんは優しいですし採血、静脈ラインの取り方を教わりました。ME さんからは機械の使い方を丁寧に教えて頂いています。ME さんは機械にすごく詳しいですね。今は周りの人に助けてもらって何とかやっていると言う感じです。すぐに聞ける環境は良いと思います。

〇 研修はどうですか?

休みは少ないですがそんなに強制的に働かされているわけでもなく、ただ患者さんのことが心配だから毎日足を運ぶようにしています。医師になるということも自分で決めたことですので多少忙しくても辛いとは思いません。未だ医師となって6ヶ月目なのですが、やらせていただけることも多い分責任が大きいと感じています。

〇 研修中の思い出深い経験は?

治療後良くなって帰宅されるのが嬉しいですね、その逆も病院なのでありますが、手術を受けて劇的に良くなって帰ってくださると嬉しさがあります。
以前関わりのある患者さんが病院内ですれ違う時に覚えて下さっていて、外来受診時呼び止められて「元気だよ」と言って頂いて嬉しかったです。

〇 今後研修する研修医へのアドバイス

会津中央病院は、研修医が少ないので指導医の先生からマンツーマンの指導を受けることが出来ます。今は呼吸器科の山岸先生の指導の下、通称『男塾』で研修を受けていて、2ヶ月間頑張ると真の男になれるということで頑張っているところです。非常に毎日忙しい生活が続いていますけれども、同時に色々なことを教えてくださり指導して頂いたりしていますのでとても有難いです。
病院見学では脳外科しか見ないで研修に来たのですが、どの科にいってもしっかり指導して頂いています。なりたい指導医の先生方が沢山おられるのも非常に良いところだと思います。

〇 今後の展望

脳外科志望ではあるのですが、まだ先は決まっていません。取り敢えずは一つひとつのことを適当にせずきっちりこなして行きたいと思っています。山岸先生に教えて頂いたのですが、一 つひとつ検査をやるにしてもなるべく良い検査ができるようにとか、自分の手技も復習して一つひとつ身につけて、一人一人の患者さんをしっかり診ていく姿勢を大切にしきたいなと思います。それはどの科に行っても共通することだと思うのでなるべくそういった下地をこの2年間で作りたいと思います。山岸先生からは「会津中央病院で研修したからには外に出て恥をかかせないようにしっかり育てる」と言われていますので、2年後会津中央病院で研修して良かったと思えるように自分でも頑張っていきたいと思っています。

〇 1日のタイムスケジュール
 6:00 起床
 6:30 出勤
 8:00 回診
 9:00 手術、外来、検査
17:00 回診、処置
21:00 勉強
22:30 帰宅
24:00 就寝