臨床研修医

〇 どのようなお子さんでしたか?どのような家庭に育ちましたか?

父は産婦人科医で、両親の祖父もともに産婦人科医でしたので、小さい頃は産婦人科医になるものだと思って育ちました。
父は開業医で自宅にいるのですが、勉強のため私たちが鹿児島市に本拠地を移した後は、週末に父が会いに来る逆単身赴任のような生活でした。父は鹿児島市に来ても急に呼ばれることが多く、すぐに帰ることがしょっちゅうで、小さい頃は父の寝ている姿を見たことがありませんでした。母も鹿児島と霧島の往復で忙しく、幼い頃は隣に住むおじいちゃんやおばあちゃん子で幼稚園の送り迎えは祖母がしてくれていました。

私は一言でいうとおてんばな女の子で正義感が強く、幼稚園の頃は喧嘩の仲裁を誰に頼まれてもいないのにやり始めるような子どもでした。通信簿には“明朗快活” と書かかれることが多く、中学生になってから割と今と近い感じになったかと思います。
小学生の頃には、母の教育方針でものすごい数の作文を書いていて、兄妹ともに作文コンクールや読書感想文コンクールで賞を頂いていました。そのおかげで国語が得意教科となりました。山形大学も2 次試験が小論文のようなスタイルだったので選びましたが、この教育の影響が大きかったと思います。母は教育に関しては確固たる自論があり、小学生では作文を書くよう勧め、中学生になり英語が始まると発音が大事だということで発音のためだけの外国人の家庭教師を雇うなどしてくれました。
父は普段は無口なのですが怒ると怖く、普段叱るのは母の仕事で、最後に大きな雷を落とすのは父の仕事でした。今はすっかり年を取り飼い猫を溺愛しています。浪人生活を経て晴れて医師になったことを一番喜んでくれたのは、今思うと父なんじゃないかなと思っています。

現在産婦人科医として働く3つ上の兄とは2人兄妹でとても仲が良く、性格は似た部分もありますが全体的には私よりは大人しめだと思います。兄もよくしゃべる人だったので兄妹で座っていると黙っていることが無くずっとしゃべり続けていました。友達と遊ぶというよりは、兄とゲームをしたりテレビを見たり話したり、2人で遊ぶことが多かったですね。
第2子にありがちなことですが写真は常に兄と一緒で、さすがに喧嘩をすることもありましたが、中学高校になると喧嘩もせず勉強も教えてもらいました。大人になってからはよく二人でご飯を食べに行くこともあります。

〇学校の成績はいかがでしたか?部活動は?

小学校の頃は成績は良い方でしたが、勉強はあまり好きではありませんでした。幼稚園の頃はバレエを習い、中学受験のために塾に通うようになるまではピアノも習っていました。他にも硬筆と書道をしていました。中学では中高一貫校に通っていましたが、大学受験を見据えて別の高校に進学しました。当時は何も感じていませんでしたが、今振り返ってみると受験勉強がメインの学生時代かもしれませんね。
中学高校は吹奏楽部で、中学ではトロンボーン、高校ではコントラバスを、また自分で貯金を貯めてトランペットを購入して趣味で演奏していました。高校では所属していた吹奏楽部が県大会で金賞を獲り、九州大会まで進み銀賞を頂いたことがあります。大学に入ると、鹿児島では雪をそんなに見たことがなく雪に憧れが強かったためスキー部に所属し、クロスカントリーをやっていました。またアートサークルという芸術系のサークルでは趣味の粘土細工をしたりしていました。他にも軽音楽部に入ってバンド活動をしボーカルとしてジャパニーズポップス系(ドリカムなど)の演奏をして、部活主催のライブに月1回または2 ヶ月に1回位の頻度で出ていました。

〇 医師を目指されたきっかけは?

小さい頃は産婦人科医になることが当たり前だと思っていましたが、高校2年になり本気で進路を考えた時に検察官になりたいと強く思い、母とも喧嘩をして一時は勉強をボイコットするほどでした。でも自分のやりたいことは医師になってもできるのかなと気付いて本格的に医師を目指すようになったのは高校3年の頃からです。一時は独学で法律の勉強もしていましたがなかなか両立は難しいですね。

〇 会津中央病院を研修先に選ばれた理由は?

今はちょっと違う道を考えているのですが、研修医になる前は救命救急の道を目指して、救命救急が強いところということで会津中央病院を選びました。ドクターカーもあり、都市救急より地域医療的な救急医療を勉強したかったのでそれができるのがこちらかなと思い選びました。

〇 会津はどうですか?

大学時代に観光に1度来たことがあって大内宿や満田屋さんに行ったのですが、最近母が遊びに来た時に満田屋さんに連れて行ったところ大喜びで、母があんなに田楽好きだとは知りませんでした。会津は食べ物がおいしいですね。
山形は会津とあまり変わらない気候で、大学生時代にはさくらんぼ農家でさくらんぼや干し柿を作るなどバイトをしていましたので東北なまりはそこで鍛えられました。

〇 会津中央病院での研修、環境はどうですか?

看護師をはじめコメディカルの方が本当に優しくて、なんでも教えてくださいますし、長くお世話になった消化器科の看護師さんからは「お疲れさまでした」とぬいぐるみを頂いたり、MEさんたちと飲みにいったりなど、他の病院ではそんな風に距離が近くなることはないと思いますし、接点のない職員の方でも廊下で通り過ぎると皆さん挨拶してくださったりなど、温かい病院だなと思います。
また、先生方に色々と教えて頂ける環境が整っていて日々学ばせて頂いています。昨年の夏には呼吸器科の山岸先生に呼吸器セミナーに連れて行って頂いて、1 年目2 年目の研修医が全国から60名位集まっていたのですがそこで行われた縫合コンテストで2位になることができました。それが獲れたのも私がというより先生方に手取足取り教えて頂いたことが大きかったと思っています。

〇 今後、会津中央病院での研修を考えている医学部生に対して

会津中央病院には救急救命はもちろん、外科手術も手技も豊富に経験できますが、逆にそういう病院は色々あると思うのですけれど、それを温かい環境でできるかということに関しては、患者さんも優しいですし、会津中央病院はすごく良い病院だと思います。

〇 オフの日は何をして過ごしていますか?趣味など?

趣味が手芸とか裁縫ですので縫合コンテストではそれも良い影響があったかもしれません。刺繍もしますし飼い猫の洋服も作ります。冬になると毎年編み物で何かしら作ります。幼稚園の頃から祖母の隣で見様見真似で編んでいました。
料理を教えてくれたのは母方の祖母で、裁縫を教えてくれたのは父方の祖母です。料理も好きで自炊しています。母とはお菓子作りを一緒にしていたことが思い出深く、クリスマスには1年お世話になった方にクッキーを配るのが我が家の習慣で、母からは「人に対する感謝の気持ちを大事にしなさい」と、料理と料理に込める思いを教わったように思います。
オフの日には、基本的には家で掃除や普段できない手の込んだお料理を作るなど、どこかにでかけるよりは家で過ごすことのほうが多いです。

〇 好きな食べものは?

唐揚げが好きで、鹿児島の居酒屋さん「一保(いっぽう)」の薩摩地鶏の唐揚げが一番美味しいと思います。また、鹿児島出身と言いますと凄くお酒が強そうと言われるのですが、あまり飲めずに飲むとすぐに赤くなってしまいます。

〇 研修はどうですか?

この一年間はアッという間に過ぎた印象で、初めてのことが多く毎日何か一つでも学ぶことがあるので、忙しいというよりは一生懸命にやっている間に一日が終わる感じです。回った科の先生方は回り終わった後も何でも相談に乗ってくださるので、その点もとても心強いです。先日は学会発表をさせて頂くことがあって外科の先生方と岩手県盛岡市に発表に行ったとき、わんこそばを食べるなど本当に楽しくとても良い思い出になりました。

〇 この道を選んでよかったと思える瞬間は?

“医師を選んで良かった” とは自分が死ぬときにはじめて思うのかもしれません。まだ真っ只中にいて日々我武者羅ですね。

〇 患者さんとのエピソードなど?

一番印象に残っているのは、回診を一人で行った際に少し長くお話した患者さんに翌日「祥子先生の名前はもう覚えたよ」と言って頂けたことです。残念ながらその患者さんは亡くなってしまわれたのですが、とても辛かったです。患者さんの長い人生に一瞬しか立ち会っていない人間がその死に対し、辛いと感じたり泣いてしまったりすることは失礼な感じがして、私は医者になってから患者さんが亡くなっても泣いてはいけないと自分で決意していたのですが、その患者さんがお亡くなりになったとき、医師になって数ヶ月でしたがそのルールはすぐに破られてしまいました。ダメですね。

〇 今後の展望

志望が変わって総合診療内科に進もうと思っており、地域医療に貢献できる医師になれたらと思っています。以前は救急救命の医師を志していましたが、働きだしてからご高齢の方とお話しをする方が自分には合っているのかな、楽しいな、と思いましたし、ターミナルに関わるのはすごく辛いのですが、必要な役割なのだろうなと思い自分が携われたらと思っています。

〇 1日のタイムスケジュール
06:30 起床
07:45 出勤
08:00 麻酔準備
09:00 手術 ※ 12 時前後食事休憩
17:00 カンファレンス
17:30 明日の準備
18:00 医局で勉強
19:30 帰宅
24:00 就寝