看護師に聞く 第2回「1分1秒を争う現場でやるべきこと」
1秒でも早く患者様を救うために――
会津中央病院は会津地域で唯一
「第三次救命医療機関」に指定された病院です。
この「第三次救命医療機関」とは、命の危機にある患者様を
24時間体制で受け入れ治療を行う
命の最後の砦。
そんな1分1秒を争う命の最前線で
いかに迅速に対応できるか。
そのために、新たな技術を身に付けた角田看護師。
命との向き合い方を語ってもらいました。
会津中央病院は会津地域で唯一
「第三次救命医療機関」に指定された病院です。
この「第三次救命医療機関」とは、
命の危機にある患者様を
24時間体制で受け入れ治療を行う
命の最後の砦。
そんな1分1秒を争う命の最前線で
いかに迅速に対応できるか。
そのために、新たな技術を身に付けた角田看護師。
彼の命との向き合い方を語ってもらいました。
看護師である母から背中を押され、看護の道へ。
看護師を目指そうと決めたのは、高校生の頃でした。それまで漠然と人の役に立つ仕事がしたいと思って救命救急士や消防士など様々な仕事を調べていたんです。看護師をしていた母に相談したところ、「看護師に挑戦してみたら?向いているかもよ。」という言葉をもらいました。元々人の身体の仕組みに興味があり、母もそれを覚えていての言葉でした。姉も看護師で当時すでに仕事をしており、姉からも応援してもらえました。家族の後押しがやっぱり心強かったですね。
今でも家族の支えは大きいです。当時から家族が増え、妻と三人の子どもがそばにいてくれていますが、新たな資格を取るときには勉強に専念できるよう環境を作ってくれたりと、自分を応援して支えてくれることも、感謝しかありませんし、大きなモチベーションになっています。

震災をキッカケに、より看護に強い思いを。

東日本大震災が発生したのは、看護学生のとき。あの日をキッカケに救命救急の道に進もうと決意を固めました。
それまでは、自分も怪我をしたときにお世話になったから…と自分にとって身近な整形外科に配属になったらいいなと漠然と考えていました。でも、あの震災で多くの人が傷つき、それを救おうと懸命の処置をする医療関係者の姿を見たことで、自分も人の命を救う最前線で働きたいと考えるようになりました。
とはいえ、看護学校時代の実習は救命救急センターが一番キツかったですね(笑)。毎日必死に食らいついて、本当に大変だったんです。でも、入職するときにもあの日の決意は変わりませんでした。採用試験でも「自分は救命がやりたい」と伝え、念願叶って1年目からずっと救命の仕事に携わっています。
最初の数年は、この命の最前線を守るプレッシャーに押しつぶされそうになっていました。でも、人工呼吸器をつけて話せなかった患者さんが回復し一般病棟に移り、元気に喋っている姿を見たときに、救命の仕事のやりがいの大きさを感じました。大変な仕事だけど、その分喜びも大きいのです。
当たり前の日常のありがたみを痛感したDMATでの経験
DMATとしての出動は今まで2回。最初のDMAT出動は2018年9月に発生した北海道胆振東部地震でした。私たちの隊では患者の転院搬送各や病院の状況調査、避難所の保健業務の補助を担当してきました。
この地震では最大震度7という大きな揺れがあったことに加え、全道中が数日間にわたり停電したことが強く記憶に残っている人も多いかと思います。そう、このブラックアウトが医療活動に大きな障壁になったのです。
大規模な災害が起こったときに各病院が被害状況などを入力して情報共有をするシステムがあるのですが、この時には停電の影響で入力できない病院が多く、病院を実際に訪問して聞き取りを行うことになりました。情報の行き違いもあり、他の隊が聞き取りに行った病院に自分たちも行ってしまい二度手間をかけてしまうなど、非常時の連携や正しい情報伝達の難しさを痛感しました。


次にDMATで出動したのは、新型コロナウイルスの流行時。県内の病院間の患者移送を担当しました。当時はまだ未知のウイルスでワクチンも無く、恐怖心もありました。
また、この時はDMAT資格を持つ医師と看護師が交代で何人も出動をしました。病院の中も平時とは全く違い、1人でも多くの人手がほしい状況だし、終わりも見ない。そんな中でDMATとして病院を離れるときには、仲間への心苦しさも感じました。
でも、医療を必要とする人が待っているなら、私たちは立ち止まってはいられません。こんな時のために訓練をしてきたし、チームワークも磨いてきた。看護師としての使命感とこのチームなら乗り越えられるという自信があったからこそ、ネガティブな感情に負けずに使命を果たせたのだと思います。
自分にできることをする。

看護師になってから数年した頃に「特定看護師」という新たな資格ができ、今まで医師や医療機器を扱うメディカルエンジニアにしかできなかった特定行為の一部が看護師でもできるようになりました。
これは1分1秒を争う救命医療では大きなこと。例えば医師が他の治療で手を取られているときに、看護師が必要な処置を行うことができれば、患者さんが不安に思いながら待つ時間も減りますし、命を救う可能性を上げることだってできるんです。
患者様を救う行為である一方、一歩間違えれば後遺症を残したりと危険も伴います。これは資格を取ろうと勉強していたときに、先輩から常々言われていたこと。特定行為の対応をするときにはいつもこのことを自分に言い聞かせながら行い、決して慣れで注意を疎かにしたりせず、危険な行為を行っていることを自覚して対応しています。
救命救急センターでは医師の異動もあったり、研修医も一定期間で入れ替わります。新しく入ってきた医師には自分ができる特定行為が何なのか伝え、いざというときに任せてもらえる関係性作りをしています。そこをアピールしていなければ、せっかく取った資格も無駄になってしまいますからね。
特定看護師がこの特定行為で手を取られている間は、そのほかの看護師の負担が大きくなるデメリットがあります。もっと多くの看護師が特定行為を行えるようになれば、この負担も分散できるのではないかと思っています。
今自分にできることは、感謝の気持ちをしっかり言葉に表すことと、準備や片付けなどは自分でやり周りへの負担を増やさないこと。また、特定看護師に興味がある部下の相談に乗り、資格取得へのサポートをすることです。
後進を育てながら、会津の救命医療をもっと強固なものへ。
現在は通常の看護師業務のほか、指導者としての仕事も担当しています。若手へのドクターカー指導や、研修会の運営、研修附属の専門学校で救命救急に関する授業など、指導業務についても多岐にわたります。救命看護師・特定看護師としての経験や、DMATで非常事態の最前線で活動した経験など、自分の見てきたこと、やってきたことを後進の育成に活かしています。
救命救急センターには特定看護師も多く、若手にとってなじみ深い資格でもあり、実際に特定看護師を目指す若手も多くいます。でも、看護師全体で考えるともっと多くの人に目指してほしいと感じることも。看護学校で教えるときにも、この特定看護師について授業で触れるようにしており、看護師になったさらに先の目標も持ってもらえたら嬉しいですね。


家族とともに会津に暮らしているということは、もし万が一のことがあったときは家族もこの病院に運ばれてくるということ。そして、自分にできることが1つでも多くあれば、医師が立て込んでいるときに待つだけしかできずに後悔するのではなく、自分で迅速に対応して助けることができるかもしれない。そんな希望があるということも、自分の学ぶ意欲を駆り立てています。
部下たちも同じように、待つだけしかできずに後悔することがないよう、一つでも多く自分にできることを増やしてほしいと思っています。そのためにも私自身が学び続け、成長し続ける姿を後進に見せることで、救命救急センターの看護師たちの刺激になればと考えています。そうやって会津の救命救急の体制をより強固なものにするということがこれからの目標であり、自分のライフワークにしていこうと思っています。
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