看護師に聞く 第3回「やると決めたら、やる。」
できない理由を並べるのではなく、
やる決断を。
幼いころからの夢を叶え、
看護師として20年以上のキャリアを重ねてきた相田看護師。
中央集中治療室という命の最前線で
患者の生命力を信じ、できることを積み重ねる。
今までの様々な挑戦や経験が、
彼女の「できること」を増やしてきました。
困難に突き当たることも多いなかで
どうやって前を向き続けてきたのか――
その強い意志を紐解きます。
幼いころからの夢を叶え、
看護師として20年以上のキャリアを
重ねてきた相田看護師。
中央集中治療室という命の最前線で
患者の生命力を信じ、できることを積み重ねる。
今までの様々な挑戦や経験が、
彼女の「できること」を増やしてきました。
困難に突き当たることも多いなかで
どうやって前を向き続けてきたのか――
その強い意志を紐解きます。
15歳で親元を離れ、看護の道へ。
看護師に憧れていたのは、物心つく前から。幼いころに怪我をしたとき、父が傷の手当で包帯を巻いてくれたのですが、自分でもやってみたい!と思ったことが今でも記憶に残っています。
だんだん憧れから目標に代わっていったのは、小学校の終わり頃から中学生にかけて。小学校の卒業アルバムには「看護師になりたい」としっかり書いていましたね。看護師が主人公のテレビドラマも夢中になって見ていました。それで高校は親元を離れ、看護師の勉強ができる仁愛高校を選んだんです。
元々は埼玉の浦和育ち。地元にも看護科のある高校はあったのですが、両親が福島県出身だったことと、のびのび自分のペースで勉強ができそうな校風が気に入って思い切って単身会津に来てしまいました(笑)。今思えば、ものすごい決断ですよね。
こっちに来て感じたのは、会津は温かい人が多いなということ。先生方や寮母さんをはじめ、みんなが私の目標を応援してくれ、気遣ってくれました。親や友人と離れて寂しさもありましたが、楽しく学べたのは周りの環境のおかげだと思っています。


看護師に憧れていたのは、物心つく前から。幼いころに怪我をしたとき、父が傷の手当で包帯を巻いてくれたのですが、自分でもやってみたい!と思ったことが今でも記憶に残っています。
だんだん憧れから目標に代わっていったのは、小学校の終わり頃から中学生にかけて。小学校の卒業アルバムには「看護師になりたい」としっかり書いていましたね。看護師が主人公のテレビドラマも夢中になって見ていました。それで高校は親元を離れ、看護師の勉強ができる仁愛高校を選んだんです。
元々は埼玉の浦和育ち。地元にも看護科のある高校はあったのですが、両親が福島県出身だったことと、のびのび自分のペースで勉強ができそうな校風が気に入って思い切って単身会津に来てしまいました(笑)。今思えば、ものすごい決断ですよね。
こっちに来て感じたのは、会津は温かい人が多いなということ。先生方や寮母さんをはじめ、みんなが私の目標を応援してくれ、気遣ってくれました。親や友人と離れて寂しさもありましたが、楽しく学べたのは周りの環境のおかげだと思っています。

学生時代は外科志望。そこで「将来認定看護師を取れたらいいな~」など、未来のことを色々と想像していました。でも実際に配属になったのは集中治療室。実習でも行ったことのない科でした。
最初は未知の科へ行くことに不安しかなく、循環器が苦手分野なのに心疾患の患者さんが多い環境への配属。また、動かしてはいけないほどの重篤な患者さんに対して、自分にどんな看護ができるのか全く想像することもできませんでした。この先の看護師人生、どうなるか分からずモチベーションも上がりにくい状況。あの時は少し苦しい日が続きましたね。
でも、入職して数か月経った頃に手術見学の機会をもらったんです。動いている心臓を初めて直接見たときに、物凄く感動しました。今もあの光景を覚えています。ちょうどその頃、重篤な状態だった患者さんが徐々に回復し、人工呼吸器が外れ話せるようになってきて、仕事のやりがいも感じ始めていたときでした。患者さんの生きようとする力に寄り添い、少しずつできることを身に付けていこうと、前を向いて進みだすことができました。
入職から20年の決断。特定看護師の資格に挑戦。

学生時代には認定看護師に憧れたことはありましたが、実際に目指せるだけのスキルや経験が身に付いたころには、子供も生まれていて長期で養成機関に通うのは難しく、キャリアアップを考えるよりも目の前の患者さんへのケアや、家族との暮らしに目を向けていました。
そんな中、病院の方針で中央集中治療室に特定看護師を配置し、迅速に対応できる体制にしていくことになり、特定看護師を目指してみないかという話がきました。
ちょうど下の子が手を離れるタイミングだったこと、夫の仕事が落ち着いていたこと…など、今なら挑戦できると思い、この話を引き受けました。特定看護師であれば講義はeラーニング中心で通学は月に数日。働きながら取得を目指す前提でカリキュラムが組まれているので、子どもと離れずに学べる環境だったのも大きかったですね。
できない理由は挙げたらきりがありません。でも、大切なのは「やろう!」と決断し、行動すること。 私自身、20年集中治療室での勤務をして多くの症例を診てたくさんの後輩を育ててきましたが、経験だけではどうにもならない場面も増えてきました。特定看護師の資格を取ろうと決断したのは、もっと学んでステップアップしたい…そんな気持ちが芽生えていたタイミングだったことが一番大きかったかもしれません。
我が家のルールで「仕事を家庭に持ち込まない」と決まっていたのですが、この時ばかりはさすがに試験前に家で勉強していました。このとき、4歳の娘が「ママと一緒にお勉強する!」と言って隣に並んでひらがなや名前を書く練習をしていたんです。関連法人の保育園に通っていることもあり、幼いながらも私が中央病院の看護師であることを理解し、こうして仕事を頑張る姿を応援してくれるのは本当に嬉しいですね。
同じ看護師である夫や小学生の息子も、普段から私の仕事を応援してくれているのですが、こうして勉強しているときにも大きな支えになってくれました。家族の存在が本当に心強かったです。
わずか2ヶ月で実感した、特定看護師の役割の重要さ。

まだ特定看護師の資格を取って2ヶ月ですが、すでに日常的に特定行為を行うようになっています。動脈からの採血や痛み止めの量の調整、人工呼吸器の位置の調整、透析器の組み立てなど、できることが増えました。
手術前で医師が準備に追われているときに、「資格取ったんだよね?お願いできる?」と声をかけられることもしばしば。最近では先を読んで必要な対応をし、「助かったよ!」と言ってもらうことも増えつつあります。
集中治療室の患者さんたちは透析が必要な方も多く、いつも透析室からメディカルエンジニアを呼んで機械操作の対応してもらっていました。透析室は別棟にあるので、その都度来てもらうのは負担も大きいのでは…と感じたことも。今回資格を取ったことで透析関連の特定行為もできるようになり、メディカルエンジニアに来てもらう頻度も少なくすむようになりました。
特定行為ができるようになって、医師と連携を取りながら治療をするという実感が増したのも大きな成長です。医師と一緒に治療方針を考えるようになり、看護師としての目線で意見を出すこともあります。
医師と看護師では役割も専門性も異なるため、医師では気が付きにくいことも看護師の視点であれば見えてくることもあります。多角的な視点からの意見は、医師も必要としていること。これからも期待に応えたいですね。
私たちが常に意識をしているのは「チーム医療」。誰かに負担が集中したり一人で悩みこむことがなくなるよう、協力体制を築いていく必要があります。そんな中で、自分の知識や経験、学んできたことが役に立つのは純粋に嬉しいです。
今年度も別の看護師が特定行為の研修を受けています。資格を生かして仕事の幅を広げながら楽しく働く私の姿を見て、モチベーションが高まればいいなと思います。

「あの人にできたなら私も!」そう思ってもらえるように。
看護師の仕事は、家庭を大切にしようとするとキャリアを諦めざるをえない場面にぶつかることも多いと思います。もちろん、夜勤の有無や回数など相談に乗ってもらえますし、病院の目の前に24時間子どもを預かってくれる保育所もあり、看護師を続けるサポート体制は充実。家庭と両立しながら働く看護師もたくさんいます。
でも、認定看護師や特定看護師の資格を取ってキャリアアップをするとなると、両立の難しさを想像してためらってしまう人は多いかもしれません。
私も家庭があるからとオファーをもらうまで挑戦しようとは思っていなかったのですが、やり遂げた今では挑戦して良かったと思っています。諦めてしまう気持ちが分かるだけに、そんな人たちの希望になりたい。周りにも両立ができなくて看護師を辞めた人、キャリアアップを諦めた人がいましたが、好きな仕事を諦めない選択ができるようになってほしいと思っています。だから、私の働く姿を見て「相田にできたなら私もできる!」って、挑戦の原動力になれたら嬉しいですね。後進たちの目標になれるよう、これからも進み続けたいです。

これから看護師を目指す人たちへ。

看護師の仕事はキツいことも多いかもしれません。今でこそ仕事にやりがいを感じて楽しく働いていますが、看護学校時代や新人の頃は覚えることも多く、命を預かるプレッシャーも大きかったので、くじけそうになったことも1度や2度ではありません。
それでも挫折せずにここまでこれたのも仲間がいたから。同期に話を聞いてもらいお互い励ましあったり、上司や先輩に分からないことを教えてもらったりと、支えてくれる人たちの存在は大きかったです。看護学校で学んでいる方やこれから入学しようと考えている方は、ぜひ周りの友人を大切にしてください。同期は一生モノの宝ですよ!
私も、上司として新人に仕事を教えるときには、看護の楽しさを感じてもらうことを意識しています。以前、新人から大きなプレッシャーの乗り越え方を相談されましたが、「何かできたのでは」と下を向いてしまうのではなく、患者さんが良くなる姿を想像し、できることを1つ1つ積み重ねていこうと伝えました。迷ったとき、悩んだ時には仲間が手を差し伸べるので、どんどん周りに相談しながら成長してほしいです。
関連記事
会津中央病院看護師採用サイト


救命センター看護師
会津の命、その最前線一秒のドラマに、一生の誇りを。 ここは、会津の医療を守る「最後の砦」。24時間365日、一瞬の判断が運命を分ける場所。私たちは、どんな困難な状況下…
会津中央病院


3.11が教えた使命。会津発、救急の未来を変える挑戦 | 会津中央病院
2011年、3月11日。14時46分。宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の超巨大地震が発生した。福島県内でも震度六強を計測。地震後の超巨大津波に、それによる福島原発の…
会津中央病院


3.11 あの日、私たちが出来ることを全力で | 会津中央病院
東日本大震災を振り返る 未来への教訓 2011年3月11日14時46分、東日本を襲った巨大地震と津波この未曾有の災害は、多くの命を奪い、生活を一変させましたさらに、福島第…
あわせて読みたい
会津中央病院 救命救急センター – Aidu Chuo Hospital Medical emergency center
福島県会津若松市にある会津中央病院救命救急センターのサイトです。
