看護師に聞く 第5回「最期の時間に寄り添う看護」
最期まで、療養者さんと同じ景色を見ていたい。
人はいつかは死ぬもの。
生きている限り、その運命から逃れることはできません。
だからこそ、最期のときは穏やかであってほしい。
会津中央病院の在宅事業部では、
最期のときを住み慣れた自宅で迎えたいと願う方が
穏やかな時間を過ごせるようサポートしています。
自分らしく人生に幕を下ろせるよう
療養者さんやそのご家族のために情熱を燃やす小林看護師。
その看護に対する思いを語ってもらいました。
人はいつかは死ぬもの。
生きている限り、
その運命から逃れることはできません。
だからこそ、最期のときは穏やかであってほしい。
会津中央病院の在宅事業部では、
最期のときを住み慣れた自宅で迎えたいと願う方が
穏やかな時間を過ごせるようサポートしています。
自分らしく人生に幕を下ろせるよう
療養者さんやそのご家族のために
情熱を燃やす小林看護師。
その看護に対する思いを語ってもらいました。
人の最期に関わる仕事がしたい。

看護師を目指そうと思ったのは、社会に出てから。それまでは全く看護師になるつもりはありませんでした。大学を出てしばらく牛乳配達のアルバイトをしていたのですが、お客様と話して関係性を深めていくことに面白さを感じ、人と深く関わる仕事に興味を持ち始めたんです。
そんな中、いつものように配達に行ったらお客様宅で葬儀をしていたことがありました。数日前まで元気に話していたのに。あの時の喪失感は今でも大きく心に残っています。
死は、それまで築いてきた関係性を否応なしに分断してくるもの。だからこそ、その最期のときに深く関われる仕事がしたいと思うようになりました。
人の最期に関わる仕事をしたいと思ったとき、最初に思い浮かんだのは介護の分野。実際にヘルパーの資格を取ろうと動き始めたとき、当時看護師として働いていた母からの言葉で、看護学校を受験しようと決意しました。
母から言われたのが、終末期に関わりたいのであれば看護師のほうが、できることが多いということ。日常のケアであれば介護士のほうが専門的に携われると思いますが、終末期のケアや看取りとなると医療的な対応が必要になります。それを聞いて、自分のやりたいことであれば看護師のほうが近いのではと思い受験勉強を始めました。社会人になって勉強から遠ざかっていたので、受験となるとなかなか大変でしたね。
実を言うと、学生時代には看護師として働く母の姿を見て「絶対看護師にはなりたくない」と思っていました(笑)。やっぱり大変そうだなという印象が大きかったですしね。でも、本当にやりたいことが見つかったときに母から「看護師目指したら?」と言われ、すごく納得感がありました。
無事、温知会看護学院に合格し、看護師としてのスタートを切ることができました。それからは、終末期に関わる看護師になるべく勉強の日々。看護師になる目的がハッキリしていたので、あとはひたすら自分の道を進むだけです。
自分のやりたいことを声に出し続ければ、道は開ける。
入職してから「緩和ケア」という分野を知り、自分のやりたかったことにピッタリ当てはまると感じました。「緩和ケア」というのは、病気による身体の痛みや心の落ち込みなど心身の苦しみを和らげ、その人らしさを大切にしながらより良い生活を送る手助けをしていくこと。
それ以来、呼吸器・外科と病棟を経験しながら、療養者さんの苦しみをいかに和らげるかを考え、緩和ケアを中心とした看護を行っていました。
やりたいことは、どんどん口に出して人に話したほうがいいと思います。私はそれで今の道が開けました。私のことを聞いた医師が郡山の緩和ケア病棟のことを教えてくれ、そこでの取り組みなどを話してくれました。「そんなことまでできるの?!」と驚きの連続で、ますます緩和ケアに深く関わりたいと、その病院へ転職を決意。
今でこそ会津でも当院をはじめ様々な病院で緩和ケア病棟や専門チームがありますが、当時はまだこのような専門的な緩和ケアは広まっていませんでした。だから、本格的に緩和ケアを行っていくのであれば、一度病院を辞めて会津を離れ、最先端の病院で学ばないといけないと考えました。


嬉しかったのは、退職するときに多くの人が私の学びたい気持ちを理解してくれたこと。たくさんの人から応援してもらい、背中を押していただきました。
そこまで自分のやりたいことを応援してくれたのであれば、いずれは会津に戻って緩和ケアを広めたいと考えるようになりました。郡山の病院で学んだことを会津に持ち帰り、地域のためになればと思ったんです。
郡山の病院に移って3年、会津地域でも専門的な緩和ケアが広がりはじめました。そろそろ自分の中でも、緩和ケアの認定看護師を目指してもう1ステップ成長したいなと考える時期でもありました。
会津中央病院に戻って認定看護師の資格を取りたいと伝えたところ、歓迎していただきました。緩和ケアを教えてくれた医師も「取ったほうがいい」と私の挑戦を後押し。それ以来、緩和ケア分野の認定看護師として、ご自宅で病気と向き合う療養者さんとそのご家族のサポートをしています。
家族と穏やかな時間を過ごしてほしい。

療養者さんとご家族の関係性は、今までの積み重ね。だから、元々あまり仲の良くないご家族を最期だからといって仲良くさせようとするのは違うと思っています。でも、元々仲の良い家族が在宅看護が原因でギクシャクしてしまうのは絶対に避けたい。私たち看護師にできるのは、両者の関係性を保てるように、うまく間に入ってトラブルを未然に防ぐことです。
最近看取った療養者さんなのですが、残りの時間はあと数週間というほぼ寝たきりの状態でしたが「残り少ない時間を自宅で家族とともに過ごしたい」というご希望で退院し、ご自宅で過ごすことに。それからお亡くなりになるまで、約2年半。生命力の強さに驚かされました。
一時期は自宅の周りを自分の足で歩いて散歩できるまでに回復。散歩をするときには私が同行するようにしていたのですが、驚いたのはあまりに調子が良かったのか、歩きながら杖で周りを指しながら会話をしてくれたんです。その数歩、杖をつかずご自身の足だけで力強く歩かれていました。
ご自宅に戻られた頃には諦めていたご先祖様へのお墓参りにも行ったそうです。法事にも参加をされ、親戚の方たちとも会うことができました。身体の調子がいい時に、3年ぶりに荒巻き鮭を捌いたそうで、ご家族からその時の様子を写真で送ってもらったことも。車椅子や杖を使うこともなく奥様と一緒に買い物に行くこともあったそうで、ご自宅での家族との時間を楽しんでから旅立っていかれました。
一方で、この療養者さんは一家の大黒柱として家族を引っ張ってきた方。どんなに体調を心配した言葉でも、奥様や息子さんから言われたことを素直に受け止められず、怒ってしまうこともしばしば。せっかくお互いを大切に想い合っていていい関係性を築いているのに、家族の方が疲弊してしまったり、ストレスを溜めて家族の絆が壊れるのは避けたいと思いました。

療養者さんからは看護師としての信頼を得ており良い関係性が築けていたんです。生活に心配なことや注意したほうがいいことを私から伝えると、素直に受け止めてくださいました。ご家族の方が感じていることは私からお伝えするようにし、諍いが起こらないよう家族の間でクッションのような役割をすることも。最後まで家族がお互いを大切に思う関係性でいられるお手伝いをしていました。
もちろん、喧嘩ができるのも元気な証拠。病気になる前のような普段の夫婦喧嘩をしながらも、何事もなかったかのように一緒に料理の仕込みをする…など、いつものご夫婦らしい日常を過ごせたのが嬉しかったですね。
この療養者さんは長年公務員として活躍していた方で、ご家族はその誇りを尊重したいと一般的な死装束ではなく、退職後も大切にされていた制服で送り出しました。丁寧にご主人の最後の旅立ちの身支度を整える奥様の姿が、今でも印象に残っています。
「緩和ケアとは?」を考える
緩和ケア病棟で働いていたときも、よく療養者さんから「残された時間を生きる意味とは」といった話を聞く機会が多くありました。また、ご家族からは患者さんが亡くなったあとの日々のこと、療養者さんの存在についてなど、深く考えさせられるような話を聞いていました。
私が療養者さんとご家族からの信頼を得られたのは、その話を親身になって聞き、理解しようとしていたことが大きいのかなと思っています。もちろん、自分の仕事や療養者さんの検査などで話を最後まで聞けないこともありますが、そんな時には別に時間を取って向き合いました。言い訳をつくって話の腰を折るのが嫌だったんです。
私たち医療に関わる人間は、療養者さんに残された「最期の時間」に入り込むことを許された数少ない存在だと思っています。本来なら、好きなことをしたり、大切な人と過ごしたいと感じるはずです。でも、どうしても検査や治療などで貴重な時間の中に看護師が割って入らなければいけなくなります。だから、患者さんやご家族の時間がどれだけ大切なものなのか理解をし、そんな中で関わらせてもらえることには、重い意味があると思っているんです。


緩和ケアは多くの人がイメージするのが末期がんだと思うんです。でも、実際の緩和ケアはそれだけではないし、病気の初期のタイミングだって緩和ケアの対象。心身の苦しみはどの病期でも当てはまります。もっと言えば、病気の有無は関係なく人との関わり全てが緩和ケアの考え方が当てはまります。
「緩和ケア」とは何をしたら緩和ケアになるのか悩んでいた時期もありますが、相手の辛さを少しでも軽くしたいと思う行動が緩和ケアであり、それは特別な技術などではなく、本来の看護そのものだと思うようになりました。だから、看護をしたいと思って看護師を目指す人は、その時点で緩和ケアの素質があると考えています。
今後はもっと地域で連携を取りながら緩和ケアを行っていけるようにしていきたいです。医療機関や地域の施設、行政で様々な解決策を考え合えるようになったらいいなと。
やりたいことを言い続けたことで緩和ケアの認定看護師への道が開けたように、今もこの構想を声に出すようにしています。最近では行政の方が興味を持ってくださり、自分の考えを言い続ける大切さを改めて感じました。地域の方が最期の時まで自分らしく過ごせるよう、より良い緩和ケアの環境をつくっていきたいです。
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